来世で女子はじめました : 仁王君と!

「仁王は、随分持ち直してきたな」

練習中、柳君がぽつりと漏らした言葉を私は聞き逃さなかった。
反射的に顔をあげると、柳君はニコリと私に微笑みかける。
女子なら赤面物の優しい微笑みなのだが、柳君の株は私の中でだだ下がりしているので
効力はマイナスである。私の時間を搾取したこの男を簡単に許す気はない。

「持ち直してきたというと?」
「祖父の不幸があってからあいつは授業をサボったり、部活もあまり来なくてな」

もしかしたらレギュラー落ちしていたかもしれないのだという。
立海大のテニス部レギュラーは簡単になれるものじゃない。
血の滲むような努力の末に獲得しているはずだ。
それを蔑ろにするほどショックだったのだろうか。
私は仁王君の中のお祖父さんの大きさを改めて思い知ることになった。

「今はそんな素振りは見えないのだけれどね」
「確かに今は授業もサボることはないし、真面目だ。いい傾向だと思わないか?」
「荒んだ時期を知らないから何ともいえないけれど、悪い傾向ではないと思うよ」

私の目の前で一生懸命汗を流す仁王君にもそんな荒んだ時期があったのか。
しかし彼は私の前では常に孫状態である。全然想像がつかない。

「お前のおかげかもな」
「…腰に巻きつけていた甲斐があったというものだね」
「はは、そんなこともあったな」
「途中から君の命令だったようだけれどね」
「……。。怒っているのか?」
「柳君を見損なった」
「おや、期待されていたのか?」

柳君はそれは信用回復に務めなければな、と涼しい顔をしている。
本当に食えない男である。これで中学生なんて…。
こんなに捻くれてしまってはこれから矯正されることはほぼないだろう。
彼はいつまでも参謀のままだ。今生できるだけ関わりたくないリストに1名追加である。

「そういえば柳君、再来週の練習試合の相手校ってどこなんだい?
 書類をそろそろ送付したいんだが…」
「あぁ、それなら俺が送っておいてもらうから後で渡してくれ」
「わかった。後で渡すよ」
「それと相手校は氷帝学園だ。中等部だが、お前の母校だな」

柳君の返答に、私は真顔のまま固まった。
そして私は臨時とはいえマネージャーになったことを心から後悔したのだ。


***


「幸村君、相談してもいいかい?」
「ん? 構わないよ。何かな?」
「練習試合当日、マネージャー要出席かな?」
「当然だろう? 何か問題でもあるの?」
「いや…」
「何? どうしたんだい? 俺には言えないことなのかな? 俺次期部長なんだよ?
 もうそれほぼ部長でしょ? 部長に部活のこと相談できないなんてことないよね?」

幸村君に相談したのが臨時マネージャー了承に引き続き2回目の間違いであった。
私はあからさまに嫌な顔をしているつもりなのだが、
幸村くんは話を止めず、プレッシャーをかけてどんどん突っ込んでくる。
わざと空気を読まない(W K Y)である。

何でもないと言って回れ右をしたのだが、なぜか目の前に後ろにいたはずの幸村君がいた。
え? 瞬間移動? 身体能力の神秘? 瞬発力がすごいとかそういう問題じゃない気がする。
いや、でも五感を奪えるらしい幸村君にすれば瞬間移動が出来て当たり前かもしれない。
と思ってしまった私は完全に毒されている。この部にもう2週間いるが、
間違っているのが私なのかテニス部員なのか、ついにわからなくなってきた。

「おい、幸村。参謀が呼んどったぞ」

仁王君がやってきて幸村君に声をかける。ナイスだ仁王君。
君が休み時間のたびに私のクラスの前まできては、
チラチラと私を見てくるのは無かったことにしようじゃないか。
だからそのまま幸村君を連れて行ってください。しかし私の願いもむなしく、
幸村君は声をかけられたというのに柳君のところに向かうどころか、
私から視線が動かない。

「へー、そう。ありがとう。ねぇ、さん。どっち見てるの? 話してるの俺だよね?」
「…ゆ、幸村君。呼んでいるならいかないといけないんじゃ…」
「今君と話してるのは?」
「幸村様です…」
「様なんて他人行儀だな。精市でいいよ?」
「勘弁してください…」

ストレスで禿げた技術職の同期を思い出したのは、その危険性を自分にも感じるからだ。
仁王君は幸村君がなかなか移動しないことに不服らしい。
多分幸村君がいなくなったらお祖父さん代わりの私と話すつもりだったのだろう。
今は部活後だから私に練習しろと怒られることもない。

「おい、精市」
「あぁ、柳。どうしたの?」
「仁王に来いと言われなかったか? メニューを作成するから来てくれ」
「…仕方ないね」

痺れを切らした柳君が迎えにきてくれたおかげで私はやっと解放されるらしい。
仁王君に捕まる前に荷物をまとめて帰ろう、と思って踵を返そうとした私は
ぐいっと手首を引っ張られてつんのめった。何事かと手を見れば幸村君に手首を掴まれている。
私は慌ててまわりを確認する。もうあたりは暗く、ファン達は既に帰路についているようだ。
しかし、ファンがいないからといってこれは心臓に悪い。悪ふざけがすぎる。

「じゃあ行こうかさん」
「え!?」
「幸村っ…何で連れていくんじゃ!?」
「だって話の途中だったし、俺達の話し合い中に帰られたら困るだろう?」
「いや、大した用事じゃなかったからいいんだよ!」
「ふぅん。あくまで白を切るんだね」

思ったよりしつこい幸村の猛攻に情けなくも涙が出そうになる。
もうすぐ40になるであろう精神年齢の男が、中学生男子にフルボッコである。
いたたまれない。半泣きになる俺に柳君が同情の視線を送っている。

「精市、あまりいじめてやるな」

凛とした柳君の声に、幸村君は少しつまらなそうな顔をして私の手を離した。
そこまでいじめてないのに、と文句を言いながら部室に入っていく。
なんと幸村君はあれで序の口だというのか。全くもって関わりたくない。

「大丈夫か?」
「え? …あぁ、脈は動いているみたいだ」
「ギリッギリの判断力じゃのー」

左手首を指で抑えながら脈拍を確認する私に仁王君が呆れている。
普段私が呆れることが多いので、これは大変貴重なシーンである。

「もうくたくただよ。なんか精神的にも…いやぁ、テニス部は大変だねぇ」
「おかげさんでこちらは楽させてもらっとる。はよう働くの」
「働くというか、てきぱきと物事をこなすことが楽しいんだ」
「…ええことじゃ」

久しぶりに歳相応な仁王君と話している気がする。
いや、もしかしたら歳相応以上なのかもしれない。
いつもこれくらい落ち着いてくれていたら安心できるのになぁ…。

「なぁ。後は帰るだけか?」
「うん。幸村君が終わる前に帰るよ。荷物はもう持ってきているんだ」
「ジャージのまま帰るのか?」
「私は電車通学じゃないからね」
「そうなんか」
「そうなんだ」
「……一緒に」
「ん?」
「一緒に帰る」

おっと。一緒に帰ろう。じゃなく、一緒に帰るときたぞ。
これはもう彼の中で決定事項なのだろう。私の返事も聞かずに部室に走って行ってしまった。
一緒に帰るくらいはいいか、と思いつつも、少し悩んだ。
このまま甘やかしていたら彼のためにならないのではないだろうか。

(そもそも私はお祖父さんではないのだし…)

私の枯れきった心を知っているせいか女生徒達は寛大だ。しかし仁王君のファンは
大好きな彼が凡庸な女にかまうところなんて見るのも嫌にちがいない。

私はベンチに置いていたバッグを持って先に帰ってしまおうとしたが
もし彼が部室から出てきた時に私がいなかったらどうなるか、と考えただけで頭が痛い。
いつもの彼なら確実に泣くし、追いかけてきそうだ。何で先に行くんじゃ〜!と
怒って泣いて私の腰にくっつく。そして私は道路の真ん中で頭を抱えるのだ。
ここまで想像して、私は考えるのを止めて待つことにした。
保守的と言われようが構わない。私の人生は慎重かつ確実に作られている。

「待ったか?」
「いいや、大丈夫だよ」

仁王君は私の想像以上に早く部室から出てきた。5分もかかっていないだろう。
こんな短い時間では私が走っても校門までしか行けない。
仁王君の脚力ならすぐに追いつかれているだろう。やはり待っていて正解だった。

「…に」
「ん?」
「待たずに先に帰っとるかと思った」
「……。まさか、そこまで人でなしじゃないよ」
「そうじゃの。は本当にじいちゃんみたいじゃな…」

物凄い良心が痛む。最近余裕がなくて自己中心的に考えすぎていたような気がする。
仁王君は以前なら私の傍を離れることすら嫌がったのに、ここ1週間は部活に打ち込み、
私への接触は出来るだけ控えていた。それなのに私ときたら…

「そういえば、俺の家は商店街の方じゃなくてあのでっかい公園がある方なんじゃ」
「あぁ、私もそっちだよ。意外と家が近いのかもね」
「!」

私が微笑むと仁王君は目に見えて笑顔をキラキラと輝かせ始めた。
何となく嫌な予感がしたものの、これ以上良心が痛むようなことはしたくない。
隣にぴったりくっつく仁王君に冷や汗を流しながら私達はコートを後にした。


***


もうすっかり夜に染まった暗い道を街灯の頼りない灯りが照らしている。
仁王君の髪は銀髪で光がよく反射する。暗闇でもぼうっと浮かび上がりそうだ。
私が車に轢かれることがあっても、仁王君は髪のおかげで車に気付かれて事なきを得そうだ。
しかし、夏に流行る足のない何かにも間違われそうである。
この付近で何か噂がたったら私は真っ先に仁王君を疑うだろう。
そんな失礼なことを考えてると知らない仁王君は一生懸命私に話を振ってくれる。

「なんかこうしてと話すのは久しぶりじゃのー」
「そうだねぇ」
「…じ、じいちゃんって呼んでもいいかの?」
「…いいよ」

期待するように目を輝かされて、お断りだなんて言えるわけがない。
彼のことは早めに生まれた可愛い孫だと思って接しようじゃないか。
じいちゃんじいちゃんと楽しそうに私を呼ぶ仁王君は幼い笑顔を浮かべている。

「じいちゃんはオセロが好きでな。俺のことを可愛がってくれとったが、
 なかなか勝たせてもらえんかった」
「勝負事だから手を抜けなかったのかもしれないね。
 でも私は負けず嫌いだから、子供相手でもつい本気になってしまいそうだよ」
「俺のじいちゃんも負けず嫌いでな。きっとお前さんと一緒じゃ。
 そうだ。明日の昼休み、一緒にオセロせんか?」

仁王君の言葉に頷けば、仁王君が久しぶりのオセロだと喜んでいた。
昼食は日によって仁王君と取ったり女子達と取ったりしている。
最初はできるだけ女子の友人達と昼食を取るつもりだったが、
目を離すと仁王君はご飯を食べなくなってしまうので、隔日で昼食を共にしている。
自分の心配性やお節介も来るところまで来ていると苦笑した。

「そういえば、幸村は何でお前さんにかまうんじゃ?」
「さぁ…。とんと検討がつかないなぁ……」
「じ、じいちゃん。目が死んどる…」

死んじゃ嫌じゃ…と泣きそうになる仁王君を宥める。
背中をぽんぽんと優しく撫でれば、もっと、っと小さな声で催促をされた。
仁王君のお祖父さんは本当に仁王君に優しかったのだろう。
いや、私も可愛い娘や孫ならこうやって甘やかしてしまうに違いない。
そういう意味で仁王君とお祖父さんと私は同類であるとも言えよう。

「へへ、本当にじいちゃんが傍にいるみたいぜよ」
「………」

仁王君がこんなに甘えるのも、喪失感に押しつぶされまいと私に縋っているのだろう。
誉たことではないかもしれないが、喪失感と戦う彼の味方になってあげられる人は
今のところ私しかいないのだ。甘えるなら受け止めてあげて、
ちゃんと立てるようになったら手を離してあげればいい。
少しでも彼が早く立ち直れるよう、座っている彼の手を引っ張ってあげるのが
大人である私の役目であり、私に出来る精一杯なのかもしれない。
なら私はそれに誠実に応えなければ…。

「なぁ、じいちゃん…」
「ん? どうしたんだい?」
「手…繋いでいいかの?」
「………それは駄目だよ」

引っ張ってあげようとは思ったけど、物理的な意味じゃない。




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