来世で女子はじめました : 壁の向こう側にある未来

私はそれから部活を休み、幸村君の病室に通うことになった。
ファンクラブからの貢物も理由をきちんとお話し、今は丁重にお断りしている。

「今日は天気がいいね」
「どうでも良くない? その話題…」
「こうも天気が良いと花粉症の人は大変そうだね」
「……」

私はテニス部の話を一切しなかった。
学校の話すらしない。ただただ彼が現実から逃げるのを手伝っていた。
逃げて逃げて、どこまで逃げても、私は彼についていった。
私は彼が逃げられなくなるのを見越していたからだ。

いや、逃げられないんじゃない。
現実から逃げたとしても、テニスから彼が逃げるわけがないと知っていたからだ。
我ながらとても性格が悪いと思う。

「もうすぐ、関東大会だね。マネージャー、ちゃんとしなくていいの?」

逃げ続ける日々に痺れを切らしたのは幸村君だった。
私は久々にテニスの話を振られて内心ほっとしていたが、それを表面上出すことはせず、いつも通りを心がけた。

「もう1週間後だから、しばらくは来ないかな。結果は真田君が報告しに来るはずだよ」
「そう…、別に来なくていいって伝えてよ」

幸村君の声は冷たかった。見えないけれど分厚い壁が私と幸村くんを隔てているように思える。
そしてその壁はどんどん厚くなる。けれどその壁を壊す手段を私は持っていない。
もどかしさばかりで胸がいっぱいになる。
幸村君の倍以上も生きているはずなのに、彼を救うような言葉も、行動もちっとも思い浮かばず、
やはり私は彼の傍にただいるだけしかできなかった。

「そんな風に邪険にされると悲しいな」
「…何でテニスの話をしなかったんだい?」
「おや、君がしないでくれと言ったんじゃないかい?」
「……」

私が笑顔でそう言うと、幸村君はあからさまに嫌な顔をした。弱っているせいか、
彼は魔王の威厳を失い、歳相応の中学生男子になっているようだった。
幸村君はそのまま何も言わずに窓を見ていたが、私が椅子に腰をおろして近づくと珍しく私の方を見た。

「手術、しようって言われてる。でも確率はすごい低いんだって」
「…受けるのかい?」
「受けない」
「どうして?」
「確率が低いんだよ? それにもう二度と、本当にテニスができなくなる可能性の方が高いんだ」

幸村君はやはりテニスからは逃げていなかった。完全にテニスから離されていることを恐れているだけだ。
手術ができるとわかっても、その確率は大分低いのだろう。難病であれば患者はモルモットに近い。
実験して上手く行けばそれが今後の治療法になるのだ。
幸村君の言葉に、私は耳をすました。

「受けたくない」
「じゃあ受けなければいいんじゃないかな」

私は間髪いれずに答えた。嫌なら受けなければいい。
少し煽るような早口でつげる。以前の幸村君なら笑って左右のコメカミを拳でグリグリすることくらいするのだろうが、
今の幸村君は眉間に皺を寄せ、嫌悪の表情を浮かべるだけだった。

さんはいつも他人事だね」
「何て言って欲しかったんだい? 受けるべきだよ? 絶対大丈夫?
 そう言ったら君は激高しただろうに…」
「…そうやって自分はいつも大人だとでも思っているの?」
「まさか。同い年だよ。幸村君、本当は受けたいんだろ? 手術」
「……」
「でも、怖いね…。確率もだけど、その先も…」
「俺の気持ちなんて誰もわからない」
「そうだね…」
「ほら、他人事」
「辛いね…。なんて言ったら、君に何がわかる?って言うだろ?」
「俺のことを知ったふりしないでよ。耳障りだ」

それでも彼は帰れとは言わない。
こうやって八つ当たりすることで心の均衡を保っているのだろうか。
いや、これで保てているのだから、彼は優秀なのだと思う。
私はその後しばらくずっと罵られるような八つ当たりを受けたが、甘んじて受け入れた。

「っそれに…!! テニスができなくなったら、俺なんて価値がなくなる…三連覇もできない!」
「幸村君の価値はテニスだけじゃないだろうに…。それに三連覇だってもういいじゃないか」
「俺が部長なのに…! 皆だって期待してた…!」
「負けろとは言わないけど、三連覇にこだわってるのはまわりよりも幸村君だろう?」

幸村君はベッドに手をついて、私の顔に顔を近づけて睨みつけた。
激昂手前のその修羅のような表情を私は見たことがない。一瞬の動揺はあったが、
私はここで引けば幸村君を完全に失ってしまう気がした。
弱った動物が敵を目の前に牙を向いているように見える。
けれど私は敵じゃない。それを彼に教えなければいけない。

「お前にはわからない…!」
「幸村君はテニスがなくなっても幸村君だよ」

私は間近にある彼の顔を見た。自分が今、どんな顔をしているかわからない。
多分笑っても泣いてもいない。真顔に近い状態だったと思う。
幸村君は私の肩を掴んだ。ギシッという音と共に肩に激痛が走り、私は顔を歪めた。
それでも、伝えなければならない。

「テニスがなくても幸村君は私の大事な友人だよ」
「治らなければ生活に支障が出て、さんにおんぶにだっこになるとしても?」
「傍にいて手伝うよ。幸村君が嫌がらないところまで」
「何、お前。俺のこと好きなの?」
「どうだろう。どちらかといえば怖いかな」
「……」

好きでも嫌いでもない。逆らうことがためらわれるような恐ろしい取引先。
そのイメージは今も変わらない。だけれど、そこには少しずつ信頼関係が芽生えていた。
彼のひたむきなテニスへの思いや、部員を思う優しさ、厳しさ、
その全てに跡部君とはまた違うカリスマ性が存在していた。

「価値の無い俺と一緒にいる必要はない。時間と未来の無駄だ」
「幸村君」
「俺はもう嫌なんだよ…!! どうせそんなこと言ってても
 皆俺に価値が無くなったらそれでおしまいなんだろ?」
「……」
「可哀想なんだろ? 俺は…何の価値もない。可哀想な男に成り下がったんだ…」
「何度も言うけど、価値が無くなったりしないよ。幸村君は幸村君だ」

テニスがなくても幸村精市は幸村精市のままだ。私がそう言うと幸村君は物凄い力で私を抱き寄せた。

「!?」
「じゃあさ、俺にさんの未来頂戴」

以前、国光君に抱き寄せられたのとはまた違う。酷く野蛮な抱きしめ方だ。
男子同士のスキンシップでもこんな力強いスキンシップを受けたことはない。
鼻の先を掠める匂いは幸村君と薬の香りがした。

「未来?」
「難病で生活にまで支障ができて、すぐ死ぬかもしれない俺に未来を浪費してよ」

幸村君の腕が震えていた。強く抱きしめすぎているからなのか、それとも何かに怯えているからか、
鼓舞しているのか、私はやはり彼の気持ちを理解することが難しい。
ただ、一番最後であればいいと思う。

「テニスもなくなって、後遺症しか残らない俺とずっと一緒にいてくれる?」

最期までさ。と幸村君は吐き捨てるように言って、私を抱きしめるのをやめた。
離れた際に、幸村君の顔を見ると、どこか自嘲的で、さっさと見捨てろよ、と言いたげだった。
私は表情を崩さず、幸村君をじっと見据えて口を開いた。

「幸村君は、それで希望が持てるのかい?」
「え…」
「私が約束すれば、幸村君の絶望に少しでも希望は生まれるかい?」
「……」
「いいよ。ずっと一緒にいるよ」

幸村君の目が開いた。そして次の瞬間、嘘だ、と言いたげに暗く瞳を濁らせて俯いてしまう。
幸村君の両頬に両手を添え、昔自分の子供に言い聞かせたように、優しい声色で幸村君に語りかける。

「君にテニスが無くなっても」

幸村君の瞳が私を見た。彼の瞳には私が写っている。
てっきり真顔だと思っていたけれど、そうではなかった。
自画自賛になってしまうが、私の表情は親が愛しい子供を見つめるように優しいものに見えた。

「君に、何も無くなっても」

幸村君の腕が私の腕を掴んだ。引き剥がそうとするわけでもなく、
すがるようなその腕の重みを感じながら、私はまた唇を開く。

「一緒に未来を生きるよ」

幸村君の目尻から涙が溢れていた。
大丈夫だよ、と言っていけないと思ったので、親指で幸村君の頬を落ちる涙を掬う。
この前の私はこんな感じだったのだろうか、と私はここにはいない国光君を思い出していた。

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