来世で女子はじめました : だから私も負けてはいけないんだ

過ごしやすい秋をすぎると、すぐ冬が訪れる。
私は母親や父親の実家でつつがなく過ごし、初詣では今年の立海大全国優勝を祈願した。

それからすぐのことだった。
幸村君が倒れて入院してしまったのは……。


***


顧問の教師から幸村君の病気を聞いて私達は息を呑んだ。
テニスを続けることはほぼ無理だろう。という顧問の言葉に憤りを感じる。
皆気持ちは一緒だった。真田君は黙って部室を出て行った。
柳君も後に続く。丸井君は瞬きも忘れて床を見つめていた。
私は、何も考えられなかった。悲しいとか、どうしようとか、考えられない。
衝撃が強すぎて信じられなかったのだ。

やっとその事実を私が認めたのは幸村君のお見舞に行った時だった。
白い病室の中にいる幸村君はどこか現実離れしていて、
神の子という彼の呼び名を思い出させた。

「やぁ、皆。ちゃんと練習してるの?」
「えぇ、幸村君がいない間はしっかり部は私達が守ります」
「早く帰らないとね」

幸村君は元気だった。少なくとも私達に元気に見られるようにしていたようだった。
私は部内試合のスコアやビデオのデータを幸村君に渡した。
苦労をかける、と幸村君に言われて笑った。

「それ、私がよく使っていた言葉だね」
「え、それって俺がお祖父さん臭くなったってこと?」
「……」
「あはは、さん変な顔してるよ」

貴様…。と思ったが、いつも通りの幸村君に皆安心しているようだった。
しかしそれが幸村君の強がりだと知っていたから、皆は一層部活に力を出すようになった。
皆が忙しくなれば、幸村君への報告と貢物を持っていくのは私の役目となった。
貢物はファンクラブの皆さんからのものだった。
何とファンクラブでお見舞いいった際、幸村君を見て泣き出す女子がいたのだそうだ。
それを申し訳なく思い、現在ファンクラブは幸村君のお見舞いを自粛している。

「幸村君。いつもの持ってきたよ」
「…ありがとう」

今日は幸村君の軽口が飛んでこない。どうしたのだろう。
荷物をベッドサイドに置いて彼に向き直る。
険しい顔をした表情の幸村君は私ではなく俯いてこちらを見ようとしない。

「そういえ…」
「悪いけどもう、来ないでくれないかな」

何か声をかけようとした私の唇は幸村君の言葉に遮られた。
予想外すぎる言葉に私は言葉を失ってしまった。

「……」
「意味ないだろう? 俺はもう、テニスなんて出来ないんだから」
「…本気かい?」
「出て行ってくれ」

こんな沈んだ彼をみたのは初めてだ。
いつも笑顔で恐ろしいことを言うブラックリストの幸村君はそこにはいなかった。
私は何も言えず、頭を下げてその場を去った。
今の彼には何も届かないし、うまい言葉を言えるほど私はできた大人でなかった。

「……」

幸村君にとってテニスとは何なのだろうか。
私にとって幸村君のテニスと同じくらい、何物にも代えがたい生きがいはあるのだろうか。
そしてそれを奪われた時、私はどうやって歩き出すのだろうか。
白い病院の壁や床がどうにも私を不安にさせる。

「…私にできることは何なのだろうね」

病院を出て見上げた幸村君の病室のカーテンは閉まっていた。
日の陰った病室で彼は何を考えているのだろうか。
私は彼を放っておいていいのだろうか。募った疑問にこれぞという答えは見当たらない。
気がつけば私の足は学校に戻ることもなく、別の場所へと向かっていた。


***


「あら、いらっしゃいちゃん」

手塚家の玄関。彩菜さんが笑顔で私を出迎えてくれた。
いつも整理整頓されたリビングに招かれる。
白い革張りのソファに腰をおろしてすぐに、彩菜さんが温かい紅茶を持ってきてくれた。

「国光はまだちょっと練習してると思うけど、すぐ帰ってくるわ」
「いえ、あの…すいません」
「いいのよ。メールもしたからきっと遅くまではかからないと思うわ」
「え!? あ、す、すいません…」

まさかそこまでしてくれていたとは、国光君にも申し訳なさが募った。
いつもだったら人に迷惑をかけずに生きていこうとしていたのに、今日の私は相当参っているのだろう。
彼女達の優しさに甘えさせてもらうことにした。

それから20分くらいで玄関の扉が開いた。
ドタドタとこの家の人間のものとは思えない焦ったような足取りで彼はリビングにやってきた。
私が顔をあげると、汗だくの国光君が入ってきた。


「国光君!? ど、どうしたんだいその汗…!」
「メールを貰って帰ってきたんだ。何があった?」
「あら、国光。おかえりなさい」

驚いている私と国光君に対して、彩菜さんだけが冷静なようだった。
汗だくの国光君に、シャワー浴びてきたら? と彼をお風呂へ促している。
今すぐにでも要件を聞きたい国光君は拒否しようとしていたが、
彩菜さんの『汗臭い』の一言で私に謝って風呂に向かっていった。

私はその間、彩菜さんの好意で国光君の部屋に案内された。
部屋は暫く入らないうちに模様替えがされており、家具がほのかに昔の部屋を思い出させてくれた。
国光君は10分もたたず部屋に戻ってきた。きっちりとした彼には珍しく髪は濡れっぱなしだった。

「待たせてすまんな」
「いや、こちらが何だか申し訳がたたないよ」
「お前が急に来るんだ。それなりの理由があるんだろう。それで、どうしたんだ?」
「……」

国光君が私を心配して急いで帰ってきてくれたにも関わらず、私は何も言えず黙っていた。
今更だけれど、幸村君のことを他校の何の関係もない国光君に相談することは
はたして正しいことなのだろうかと迷ってしまったのだ。言い淀む私を見て国光君は黙っている。
手隙なのが落ち着かないのか、濡れた髪をタオルの上からかき混ぜるようにして水気をとっているようだった。

「ごめんやっぱり…」
「幸村のことか」
「え?」

やはり相談はやめようと口を開けば国光君は私の言葉を遮るように幸村の名前を出した。
その言葉に驚いて顔をあげれば、穏やかな国光君の瞳が私を見ていた。
一瞬の静寂が部屋を埋め、私はカラカラに喉が乾いているのに気付いた。

「芳しくないのは知っていた。うちの乾…偵察は優秀だからな…」
「そうか」

そういえばうちの参謀のように情報通なチームメイトがいるのだと聞いたことがある。
本当に情報通すぎるな、と私はどんな顔をしていいかわからず苦笑いを浮かべた。
見抜かれて気が抜けたのか、私はぽろぽろと今日の幸村君とのやりとりを国光君に話した。

「…それで、お前はどうするんだ?」
「正解がわからないよ」
にとって、正解は何を言う? 幸村が完治することなのだとすればお前がいてもいなくてもきっと変わらない。
 戦うべきは幸村だ」
「……」
「俺達は代わりになることはできないし、当人の気持ちはわからない。本人がそういうのなら…」
「でも、私は…」
「何ができる? 、俺達は幸村と代わることも理解することもできない」
「私は…何も出来ないけれど…」

何も出来ないから、傍にいたいと思う。私のできることなんてそれくらいしかない。
それくらいしかないけれど、私は…。
手をぎゅっと握る拳が痛い。けれど、もっと別のところがずっと痛かった。
私は俯いて血管がうっすらと浮くのを見ていた。脈打つ血脈が体中に響き、私の中を巡っているのがわかる。

「もう、決まってるんじゃないか? お前の中で」

国光君の言葉に私は再び顔をあげた。
そのすぐ後に、国光君の温かい手が私の頬を撫でる。
私は気づかないうちに泣いていたのか、鼻水が垂れそうになってズズッと鼻をすすった。

「正解なんてない。俺達は気持ちを押し付けることしかできない。傲慢だ」
「そうだね…」
「でも幸村は言ったのだろう? テニスなんかできないのだから、来るな意味が無いと」
「……」
「幸村はお前にとって、テニスだけか?」
「まさか。あんなブラック企業社長みたいなワンマン幸村君がテニスだけなわけないじゃないか!」
「(ブラック企業…)そうだろう? だったらお前は幸村精市と向き合えばいい。
 テニス部部長ではなく、本人と向き合ってやれ。きっとそれは、選手の俺達ではできないだろう」

ライバルに醜悪な様を見せられないからな、と国光君は笑っていた。
私が頷くと、散らばりそうになる涙を今度はティッシュで拭いてくれた。
随分子供扱いをされて驚いていると、国光君はたまにはこんな日もいいだろうと笑いながら私の涙を拭き続けた。
その笑顔がどこか優しく、寂しく見えた。

「国光君? わっ」

急に抱きしめられて、私は体勢を崩して国光君の腕の中に収まってしまった。
暑いほどの体温、そして国光君の匂いに心臓が早鐘のようになり出した。
国光君とは兄弟のような関係だったけれど、こんなじゃれつくようなことをされたことはない。
スキンシップなんて皆無だったのに、どうしたのだろう?

「???」

私はわけがわからず、国光君の腕の中でおとなしくしていた。
国光君は意味なくこんなことをするような子ではない。
どうしたんだい? と不安そうに問いかければ抱きしめていた腕を離してくれた。

「いや、すまん。お前も大きくなったと思ってな」
「…君は私の父親か」

私の眉間に寄った皺を見て、国光君が楽しそうに笑っていた。


***


私は次の日、幸村君の病室を尋ねた。
幸村君は入ってきた私を厳しい表情で睨めつけた。

「もう来ないでくれって言わなかったかい?」
「今日はテニス部のマネージャーじゃないよ」
「…え」
「友人として、お邪魔しにきたんだ」
「……」

幸村君は不機嫌そうに私から目を逸らした。それでいい。
出て行けと拒否しないのであれば、彼の中でまだ色々な葛藤があるということなのだろう。

彼はまだ負けてなんかいない。




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