来世で女子はじめました : 帝王と魔王

時刻は夜の21時、跡部君はまだ起きているだろうか。
電話の子機を片手に、手帳に記された跡部君の電話番号を確認する。
ボタンを連続して押して、切って、を繰り返す。
もう喋る内容も決めたし、イメトレもした。
折角柳君が(どこまで本当なのかわからない)アドバイスまでくれたのだから、
きっと今日電話するのがベストだろう。私は意を決して電話番号のボタンを押す。
聞こえるトーンバック音に、心臓がかなり痛くなった。


***


『珍しいな
「こんばんは跡部君」

跡部君は3コールで電話に出た。
私は出来るだけ落ち着いているような声を出すが心臓は破裂寸前だ。
こんな緊張具合は前世で妻にプロポーズして以来である。
しかし今回のドキドキは悪い意味でだ。
会社で営業の電話をしていた頃のことを思い出しながら、息を吸う。
営業部で管理職を勤めていた男のメンタルの強さを見せてくれよう。

「いま電話大丈夫かな?」
『あぁ、問題ない。今日はあまり疲れてないしな』
「…そうか。部活はなかったのかい?」
『いや、生徒会の会議で半分しか参加できてなかった。身体が鈍るぜ』

半信半疑だった柳君の情報は正確なものだったらしい。
どうやって情報を手に入れているんだ。柳君の情報収集能力が恐ろしい。

「テニスは順調かい?」
『アーン? お前はテニスに興味はなかったんじゃねーのか?』
「…実はその件で跡部君に相談したいことがあってね」
『フン。何があった? 聞いてやるから話してみろ』

跡部君の声色は少し嬉しさが滲んでいるようだった。
私はあまり跡部君に頼らないようにしていたから、頼られて嬉しいのだろうか。
跡部君はいつも頼られっぱなしだったから気を使っていたのだけれど、
少々気の使い方を間違っていたのかもしれない。
行動に出さないとわからないこともあるものだ。

「立海のテニス部にマネージャーにならないか、と言われているんだ」
『アーン? まぁ、そうだろうな』
「驚かないのかい?」
『お前の実力は俺の折り紙付きだ。想定の範囲内だな』

跡部君が転校時のように声を荒げることはなかった。
フウと溜息が受話器から聞こえる。跡部君は2年間ですっかり大人になったのだろう。
跡部君が氷帝幼稚舎に編入し、それからずっと彼の補佐をし続けてきたことを考えると
親離れされたような気持ちになる。なんだか嬉しい半面、少し寂しい気持ちになった。

『で?』
「え?」
『いつ氷帝に戻ってくる気だ?』
「……」

おかしいな。跡部君と会話が成立していない。
先程までは確実に日本語で喋っていたはずなのに、今跡部君は何語で喋ってるんだ?
そういえば跡部君は何カ国語も喋れてトリリンガルとかの話じゃなかったな。
そうか、そういうことかうんうん。もう俺わけわからないんだけど…。

「も、戻らないよ。学校自体は気に入っているし」
『そのままだと確実にテニス部のマネージャーにされるぞ?
 俺の方が先に誘ってんだ。優先すべきは俺じゃねぇのか? アーン?』

跡部君は私を右腕にしたがっていた。それは生徒会だけの話じゃない。
事あるごとに、テニスのルールを教えてこようとしたし、有名なテニス選手の話もされた。
やれドイツの選手が、フランスの選手が、日本人選手がうんぬん。
興味をある素振りを見せたら最後だと思った俺は「そうか、すごいね」と
興味なさげに相槌を打って、まともに取り合った事がない。

「誘われていたっけ?」
『お前は興味なかったみたいだから忘れてんだろう?
 まったく、この俺様直々の誘いを無碍にしやがって…』
「……」

久々に会った友人は自分を俺様と言うようになっていた。
そうかこれが中二病というものなのか。病に陥っている人に初めて遭遇した。
これは来年治っているのだろうか。中3病は聞いたことがないから大丈夫だろう。
少し地が出てきそうになった私はマイク部分を抑えて深呼吸をする。
深呼吸後、ゆっくりとした口調で再び喋り始めた。

「跡部君のお誘いは嬉しいのだけれど…」
『テニスには興味ねぇのか?』
「今のところはね」
『じゃあテニス部には入らねぇつもりか? 立海の次期部長は幸村だ。
 あいつ優しい顔して強硬手段に出てくるぞ』
「重々承知しているよ…」
『……その様子じゃ、もう入部させられてるみてーだな』
「面目ない」
『俺の誘いに乗ってりゃ、そんな目に合わなかったんだ。大いに反省しな』
「跡部君は何だかんだ私の意見を尊重してくれていたからね。
 無理強いしないでくれることがこんなにありがたいとは思わなかったよ」
『フッ、俺様の良さにやっと気付きやがったか。さっさと戻って来い』

跡部君は上機嫌だ。この状態を保ちながら、穏便に練習試合の話をしていこう。
私はやんわりと転校を断りながら、現状を報告することにした。
臨時マネージャーをしていることや、今度の練習試合も参加することを伝えると、
跡部君はまた溜息をついた。呆れられているのが分かる。

『何やってんだよ…』
「臨時マネージャーだね」
『そうじゃねぇよ。チッ…。まぁいい。俺様にわざわざ報告する姿勢に免じて許してやる』

どうやら私は許されたようだ。心が羽のように軽くなる。
電話する前は鋼のように重かったというのに…。
許されたならもうこれ以上電話をする必要はない。むしろ危険性が増す。
タイミングを見てそろそろ風呂だとでも言って切ってしまおう。

、どうしても中学を変えたくないなら高校は氷帝にしな』
「え?」
『そしてテニス部のマネージャーだ』
「は?」
『そのためにも立海大のマネージャーは続けろ。いい勉強になる』
「ちょ、跡部君!?」
『悪いと思っているなら誠意を見せな。さて、俺様は今から風呂だ。じゃあな』

跡部の電話は無情にもそこで切れた。私はもっと早い段階で電話を切るべきだったのだ。
熱くなった受話器をベッドに転がす。何か打開策を…と考えても何も思い浮かばなかった。


***


15年以上の会社勤めの癖が抜けなかった私の朝はとても早い。
しかしテニス部の朝練に参加するようになってさらに1時間早くなった。

「目の下のクマがすごいな…」

結局、どうしていいかと悩み続け、ほとんど寝れなかった。
なかなか寝付けないことで意外と自分が繊細だったことを知った。
しゃっきりしない頭でジャージに着替える。朝食を取る気にならず
母親に謝って家を出た。朝日がとても目に染みる。

朝早いと空気が澄んでいる気がした。人も少なく歩くのが楽しい。
眠いことこの上ないが、この爽快感は嫌いじゃなかった。

「おはよう、さん」

登校中に声をかけられ、振り返るとなぜか幸村君が立っていた。
何でここにいるのか、とか家こっちだっけ? とか色々質問はあったけれど、
疲れきった頭はろくに働かず、私はひきつりそうな笑顔でおはようと返事をした。

「蓮二から聞いたよ」
「何をだい?」
「跡部の件」
「あぁ…うん」

電話の内容を思い出して気が重くなっていく。
いつの間にか幸村君は私の横に並んで歩いていた。

さん。…練習試合、来なくてもいいよ」

幸村君に優しく声をかけられて私はとても驚いた。驚きすぎて声が出なかった。
急にどうしたんだろう。柳君に何か言われたのだろうか。
しかしあの幸村君がこんなことを言い出すくらいだ、相当盛られているに違いない。

「急にどうしたんだい?」
「蓮二に困らせるなって言われたから」
「柳君の影響力は凄まじいねぇ」
「……本当は」
「ん?」
「本当は俺が守ってあげるから絶対出なよって言いたかったんだけど」
「……」

守ってあげる? 誰を? あぁ、この文脈からだと俺か。
あ、やばいまた俺って言ってしまった。パニックになるといつもこうだ。
本当落ち着こう。何息子世代の中学生相手にパニックになってるんだ俺は…。

「今日のさんの顔があまりにも酷すぎて、無理強いはよくないなって思ったよ」

この男は全くもって失礼である。
俺が中学生の頃であっても、もうちょっと女子に対して気の利いたことを言っていたぞ。
さっきまでは守ってあげるとか言っていたくせになぜ上げて落とす。
俺の表情は確実に引きつっていただろう。幸村君は笑っていたけれども。

「…まぁ今までの練習試合だってマネージャーがいなくても何とかやってこれたし」

それは本当のことなのだろう。テニス部は部員が多いこともあって、
今までマネージャーがいなくてもやってこれていたのだ。
しかしそれは他の誰か、多分選手の犠牲をもってして成立していた。
それを救済するためのマネージャーが私だったはずだ。

「ただ…できれば君にマネージャーをやめて欲しくない」
「え…」
「臨時ってなってるけど、君は3週間で十分やる気を見せてくれたし、
 何よりまだ仁王のことがある。潰れたらそれまでだって思ってたけど、
 あいつとまたテニスができて俺は嬉しいって思えたから…」

柳君の話の通り、幸村君からの私への評価は高かったようだ。
評価が高かったからこそ、不安の芽は摘みとっておこうと今まで私を締めあげていたのかもしれない。
……。もっと他に良い方法はなかったのだろうか…。
私にはまだ仁王君のこと、跡部君のことがある。
簡単に部活をやめることは難しい。止めた後の方が面倒なことになりそうだ。

「いや、ちゃんと出るし、そうだね。今後についても前向きに検討するよ」
「…いいの?」
「引き受けたのに、弱気なことを言って申し訳なかったね」
「眠れないほど嫌だったんだろう?」
「責任を放棄するようなことをしたくないと、改めて思ったよ。
 幸村君ありがとう。評価を頂いていたことも素直に嬉しく思うよ」

跡部君のことは何とか出来ると言うと、幸村君は根拠を問うてきた。
昨日電話で話して問題なかった。と言うが、全く信じてもらえず
一言一句再現しろということを笑顔で言われて血の気がひく。勿論お断りした。

「というか、幸村君」
「何?」
「私、朝の通学路で君に初めて会ったんだけど、おうちこっちなのかい?」
「え? 近かったら迎えにきてくれるの?」
「……。何でかな?」
「あ、違うか。こういう時は男から迎えにいかないといけないよね。何時待ち合わせにする?」
「いや、朝は一人でゆっくり登校したいから…」

急にからかいモードになった幸村君に私は大きく息を吐いた。
それが彼なりの照れ隠しであることに気づいたのは
この時よりずっと後、彼の家が私の家とは全くの逆方向だと教わった時だった。




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