来世で女子はじめました : おっさん→女子

思えば俺の人生は大変良い人生だったと思う。
2つ下の後輩を嫁にもらい、2人姉妹の父親になった。

一家の大黒柱としてあくせく働き、それなりに幸せな家庭を築いていた。
それが壊れたのは、会社からの帰り道、雨の日だった。
最寄り駅から家までは徒歩10分、俺はお土産のケーキを持って歩いていた。
しかしそんな俺を待っていたのは家族ではなく、居眠り運転手をのせた大型トラックだった。

歩道に突っ込んだトラックは俺の身体を簡単に弾き飛ばした。
農家が使うような軽トラではなく大型だったから当然といえば当然だろう。
強烈な衝撃と痛みに俺は一瞬で意識を無くした。

そんな悲惨な事故で一生を終えた俺は、孫の顔を見たかったなぁ、なんて思いながら
第二の人生を生きている。


***


あ、私前世、おっさんだったわ。と思い出したのは丁度小学3年生の頃だった。
それは急な出来事で、ごろごろ寝転がりながらじゃがりこを全部食べて母親に叱られた時に思い出したのだ。
私、いや俺は野神鉄郎という男だった。鉄のように強い意思と身体を持つ男になるようにと祖父に名づけられたのだ。
しかし今現在の名前は野神鉄郎ではなく、という女子小学生である。
あまりのギャップに一瞬真顔になったが、こればかりは自分の意志ではどうにもならないだろう。

! またご飯前に全部食べちゃって…。今日はおよばれしてるから全部食べちゃ駄目って言ったでしょう?」

どうやら今夜は他の家族の家で食事をするらしい。
しかし俺はそれどころではない。前世がおっさんだったのに現在女児なのである。
一瞬わけがわからなくなったが、とりあえず母親にごめんなさいをした後、子供部屋に逃げ帰った。
恐ろしい。別に悪いことなどしていないのにこの罪悪感はなんだろう。
人格形成もできているはずの女児の俺は、圧倒的知識を持つ前世の俺にすっかり支配されていた。

鏡を眺めると女児が不安そうに眉を顰めている。
凡庸な顔立ちではあるがわりかし可愛く見えるのは欲目なのだろうか。
あぁ、でも家の鏡だとまぁまぁ良く映るのに、 外に出てエレベーターの鏡を見たりするとぎょっとする恐ろしい現象があるから、それかもしれない。

〜! 行くわよ〜!」
「は、はぁい」

甲高い女児の声が耳に痛い。なぜどうして、このタイミングで?
そういえば俺の家族はどうなっているのだろう? 娘達は今いくつなのだろうか。
眉を顰めたまま、俺は母親に呼ばれて家を出た。
母親の運転する車に乗ってついたのは立派な一軒家だった。表札には手塚と書かれている。
チャイムを鳴らすとすぐに扉が開いた。中から綺麗な女性が穏やかな笑顔で現れる。
母親と玄関に進むとそこには小さな男の子の姿があった。

「はい、。国光君よ」
「……」
「国光、ちゃんと同い年だから仲良くね」
「はい」

俺の目の前には俺より小さい大変整った顔立ちの少年が無表情で立っている。
一度子供を育てた俺だからこそわかる。これは小学3年生の表情じゃない。
最初は女子を相手に緊張しているのかもしれない、とか
そういえば俺も同級生のみっちゃんに恋心を抱いてもじもじしていたものだ、なんて思ったがそんなんじゃない。
俺、の母親と確り話をする国光君は大変立派だ。立派すぎて恐ろしい。

訝しげにしている俺と国光君の視線が交差した。
よろしく頼む、と差し出された手に、思わず胸元から名刺入れを取り出そうとしてしまった。
そんなもの勿論もっていないから、俺は一度迷った手を彼の手に重ねて、こちらこそ宜しくお願いします。と告げた。
何だこの打ち合わせ前の挨拶。何度でも言おう。俺達は小学校3年生じゃない。
何より恐ろしいのはサラリーマンみたいな俺達の会話をキャッキャと楽しそうに聞いている母親達である。
俺だったら間違いなく自分の子供を心配するのだが……。

「おう! ! お帰り!」
「あなた、お帰りじゃないでしょ! もうこんな酔っ払っちゃって」

父親は既に手塚家の父親と祖父と共に酒盛りを始めていたらしい。
真っ赤になった男性陣の手にはビールやら水割りやらが握られている。
その前には枝豆の空が大量に重ねられていた。居酒屋でよく見る馴染みある風景である。

「女性陣はこっちよ。さぁ、ちゃん、国光。召し上がれ」
「母さん、俺は男です」
「あぁ、そうね。じゃああっちは酔っぱらい組かしら」

母親が呆れたように言うと、手塚家の母親がクスクスと笑った。
どうやら俺の父親と手塚の父親は高校と大学の同級生で親友らしい。
よく夫婦で食事を一緒にしていたせいか、母親同士も仲良くなったとのことだ。

手塚の母親、彩菜さんの美味しい手巻き寿司を頂きながら話を聞く
お腹が一杯になり、食休みをしていると父親に大きな声で呼ばれた。かの酔っぱらいはお酌をして欲しいのだそうだ。
こういう場合、役職の順(簡単に言えば偉い人)から注がなければいけないのは飲み会の基本である。
ビール瓶を小さな両手で確りと持ち、グラスを差し出す父親をスルーして手塚家のお祖父さんのもとに向かうと 『カッカッカ』と小気味良い笑い声とともにグラスを差し出される。

「確りした娘さんだ!!」
〜〜〜!!」

情けない声を出す父親をスルーしてお祖父さんの持つグラスにビールを注いだ。
お前より偉いというのがわかっているのかもな、と上機嫌に話す手塚家の父親(国一さんというらしい)に 俺は苦笑いをするしかない。その後に国一さん、父親の順でビールを注ぐ。
ビールと泡の比率は3つとも一緒だ。7:3である。これが接待と飲み会を幾度と無く繰り返した元企業戦士の実力である。

は上手だな〜!!」

上機嫌の父親はでれでれとだらしない顔で俺の頭を撫でた。だが中身はおっさんである。大変申し訳無い。
俺も昔は娘が何をしても可愛かったものだ。デレデレしてしまう気持ちはよくわかる。
そして将来、成人したら一緒に酒を呑む、なんていう夢もみた。

「国光、ちゃんお部屋によんであげたら?」
「はい、わかりました」

彩菜さんに促され、俺と国光君は子供部屋へと向かった。
小学校3年生の部屋にしては随分と綺麗である。整理整頓された本棚はキチンと作者名順で、
棚にはトロフィーやメダルがキラリと光っている。
俺が小学校3年生だったころの部屋は兄と相部屋で、ビーダマンやら何やらで常にごちゃごちゃしていたものだ。

「トロフィーすごいなぁ」
「あぁ、テニスの試合で優勝したときのものだ」
「テニス?」
……ちゃんは……」

少し言い難そうに俺の名前を呼ぶ国光君は頬を少しだけ染め、初めて年相応の表情を見せた。
名前をちゃん付けするのも恥ずかしい年頃なのだろう。

でいいよ」
「……は、どこの小学校なんだ?」

俺の言葉に手塚君は少しほっとした面持ちで問いかけてきた。
部屋やとしての記憶を遡る。確か……

「私は氷帝学園の初等部に通っているよ」
「やはり違う小学校なんだな。そうだ。は何かめざしているものはないのか?」
「目指す……?」
「習い事とか……」
「特にしていないな。水泳はしているけど競泳ではないし……」

庶民家庭でしかも昭和世代だったから特にテニスのような小洒落た習い事もしていない。
強いて言えば草野球や部活動で柔道をしていたぐらいだろうか。

「俺はいつか、テニスで一番になる。せんりゃくに頭を使うのも好きだしな……」
「深く考えて自分にあうテニスをしているんだね。格好いいなぁ」
「……!」

息を飲んで耳を赤く染める国光君が可愛らしい。しかしこの年でそんな大きな目標があるなんて立派なもんだ。
いやでも俺も昔は野球選手になりたかったから似たようなものか、とも思ったのだが
彼は実際に素晴らしい成績を叩き出しているのだから、根拠と結果が出ている分、彼は幾分も俺より立派である。

「案内したのはいいが、とくに遊べるものがないんだ。俺はあまり遊ぶのは得意じゃない……」

あるのは将棋ぐらいだ。と棚の一番下から携帯用の将棋盤を持ってくる。
あぁ、将棋なら上司に勧められてネットでの対戦や詰将棋なんかもしていた。
年の離れた上司との唯一の共通の趣味で大変役に立った。娘達にはおじいちゃんみたいと言われたけれども…。
しかし小学校3年生の娯楽が将棋とは何とも渋い……。
構わないよ、と笑って2人で将棋を始めることにした。


***


「……負けました」
「いやぁ、国光君は強いね」
「勝ったのにそう言われると嫌味だ……」
「ごめんごめん。でも強いと思ったのは本当だよ」

結果的には勝ったけれど、小学校3年生の腕じゃなかった。国光君は相当頭がいいのだろう。
今までお祖父さんにしか負けたことがなかったらしく、国光君は渋い表情を浮かべている。
もう1局しよう、と声をかけれてすぐ扉がノックされる。
入ってきたのは彩菜さんと母親だ。

。今日はもう帰るわよ。ちゃんとご挨拶して……ってあら、将棋していたの?」

母親はは将棋なんか出来たのねぇ、ときょとん顔である。
口にできない謝罪を心の中で何度も反芻する。おっさんですいません。
将棋の駒を片付けて、母親に付いて行こうとすれば服を引っ張られた。
後ろにいたのは国光君である。

「ん?」
「また、将棋をしよう。次は油断しない」
「あぁ、うん。いいよ。またしよう」

俺が笑顔で頷くと、国光君は納得したように頷いて服を離した。
手を振って家を出た時、恥ずかしそうに小さく手を振り返した国光君に何となく和やかな気持ちになった。
息子がいたら、将棋がしたかったな……。


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